樋口一葉の手紙「伊東さんへ」
伊東夏子(1872-1946):樋口(一葉本名は夏子)と同年齢同名、私塾『萩の舎』学友、クリスチャン
1894(明治27)年3月

浮世に才子というのものがいる。言葉巧みに文面美しく、仕事の上級者だからそれを見る十人のうち九人までが本当だと信じて、楽しく頼りになる人だと言うみたいです。わたしのように生い茂る草むらの露にすがり最後は廃棄場の隅に捨てられて、世間で何かできる知恵も持たん者は、こうだと気持を言葉にすぐは言いにくいけど、黙々として過ぎる月日の心からは愛も信も離れず、でも表にあらわれないからこそ今回のようなお恨みも頂くんでしょう。
あなたがお思いになる十分の一も私に思う心がないとは、なんて情けないお言葉なの。知っていなさるように頑なな私は、この広い世界に同じ気持の友もなくてあなた一人だけをと思うのに、そのあなたにさえこんなに疎まれてしまったと思うと、私の運命は本当にはかない。
あなたは裕福な家にお生まれになり、私は貧しさのなかで育った。もともとこれすら違うのに学ぶところも違っていたから、あなたは宗教の道に入り私は虚無の空理に酔って骨を荒野にさらそうとしている、その時に、普段の持論が違うからといってあなたは振り向きもしないのか。
私は宗教家であるあなたが生涯を道に捧げて全うされることを望む。選ぶ道が違っていても信友は信友だ、どこに隔てる気持ちがあってなおざりにできるのか。あなたの病床を訪ねなかったのは私の間違いだがこれは間違いなのだ、私の病をお尋ねになるあなたに深い気持ちがあって尋ねない私を気持ちが浅いとお責めになるのはむごくないか。私はあなたに(文字不詳)浴していたこともあり本来こんなことを親友でない人に話せるだろうか、あるいは私を軽い薄い浮かれたやからだとみなしてそいつが慈愛深いあなたの心を騙したのだと思うのか。あなたを騙せるほどの才子ならあなたに恨まれるような愚かなこともしないだろう。
私は馬鹿だ。自分の気持ちを書くことも話すこともできないような馬鹿野郎なのだ。それならそれでいい、でも心は誰にも負けない信じてほしい。
(原文)
浮世に才子というものあり、言葉巧みに文辞美しく仕業の上手なれば見る人十が九までが誠と信じて嬉しく頼もしき人と申すぞかし。我がごとき八重もぐらの露にすがり果ては塵塚のすみに捨てられて浮世にほどこすべき智恵も持たぬ身はかくと思う心を言にすぐ述べ難ければ、黙々として過ぐる月日の心には愛も信も離れずながら表にあらわれねばこそこのほどのようなる御恨みも承るなれ、君がおぼし給わる十分の一も我に思う心なしとはさても情けなき御言葉なり、知らせ給うごとき頑ななる身はこの広き世に心合うべき友もなくて君一人をこそと思うに、その君にさえかく疎まれ参らするを思えば我が運命は誠にはかなきものに御座候。
君は富家に生まれさせ給えり、我は貧裏に人となりぬ。そもそもこれすら異なるに学ぶところ同じからねば君は宗教の門に入り我は虚無の空理に酔いて骨を野外に晒さん時、平常の持論違えりとて君は見も返り給わざるか。我は宗教家たる君が一生を道に尽くして終わり給わんことを望む、とる道ことなりとても信友は信友なり、いずくに隔つる心ありてかなおざりにすべき、君が病の床に訪わざりしは我があやまりなれど、こはあやまりなり、我が病をとわせ給う君に深き心ありてとわぬ我を心浅しと責め給うはむごからずや、我は君に・・・・・・浴したる事もありそもそもかかる事を信なき友に語らるべきか、はたまた我を軽薄浮兆のともがらと見なして慈愛深き君が心を欺きたりとおぼすか、君を欺くほどの才子ならば君に恨まるるほどの愚はなさざらまし。
我は愚人なり。我が思う心を筆にも口にも顕し難きほどの愚人なり。さもあらばあれ、信はまた誰にか劣るべき。
(原文)
浮世に才子というものあり、言葉巧みに文辞美しく仕業の上手なれば見る人十が九までが誠と信じて嬉しく頼もしき人と申すぞかし。我がごとき八重もぐらの露にすがり果ては塵塚のすみに捨てられて浮世にほどこすべき智恵も持たぬ身はかくと思う心を言にすぐ述べ難ければ、黙々として過ぐる月日の心には愛も信も離れずながら表にあらわれねばこそこのほどのようなる御恨みも承るなれ、君がおぼし給わる十分の一も我に思う心なしとはさても情けなき御言葉なり、知らせ給うごとき頑ななる身はこの広き世に心合うべき友もなくて君一人をこそと思うに、その君にさえかく疎まれ参らするを思えば我が運命は誠にはかなきものに御座候。
君は富家に生まれさせ給えり、我は貧裏に人となりぬ。そもそもこれすら異なるに学ぶところ同じからねば君は宗教の門に入り我は虚無の空理に酔いて骨を野外に晒さん時、平常の持論違えりとて君は見も返り給わざるか。我は宗教家たる君が一生を道に尽くして終わり給わんことを望む、とる道ことなりとても信友は信友なり、いずくに隔つる心ありてかなおざりにすべき、君が病の床に訪わざりしは我があやまりなれど、こはあやまりなり、我が病をとわせ給う君に深き心ありてとわぬ我を心浅しと責め給うはむごからずや、我は君に・・・・・・浴したる事もありそもそもかかる事を信なき友に語らるべきか、はたまた我を軽薄浮兆のともがらと見なして慈愛深き君が心を欺きたりとおぼすか、君を欺くほどの才子ならば君に恨まるるほどの愚はなさざらまし。
我は愚人なり。我が思う心を筆にも口にも顕し難きほどの愚人なり。さもあらばあれ、信はまた誰にか劣るべき。
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