柚木天白神社来歴碑
柚木天白神社来歴碑
文語体で神社を紹介する石碑は、とても美しく磨かれていました。

《碑文訳》
村社、天白神社
位置、柚木字本田二〇六番地
境内、二二八坪
明治八(1875)年二月十八日付をもって村社
由緒、棟札の写し
天白尊宮を奉じ修復。五穀豊穣
天正十三(1585)年、本社殿を次兵衛が造営
慶長十八(1613)年、寛永十九(1642)年、寛文十(1670)年、修復する。
興惣兵衛と次兵衛、小兵衛と氏子一同
大昔の柚木村は草深い所で、長さ一寸八分(1 ⅛寸、約3.33cm)の米が三粒降ってきた。それでその場所に社を一つお祀りして「天白」と名付け、その田を「初穂田」という。いまでも存在して、毎年その田の米を神前に供える。
土地の人であった外木又兵衛は、古い文書類と共に下総の銚子近辺に移転した。年代は不詳である。ただし近年にいたっても、外木又兵衛の子孫は毎年この村に来て、初穂田の所有者である久保弥平の自宅に立ち寄り、天白社を祀るのを慣例としていた。
本社殿の前に一丈(約3m)を超える古井戸がある。
初祭りの年に村民が地面を掘ること数十尺(約3m×X)そういうところ、水が湧き出した。それで「氏神は井戸を嫌う」といわれている。村内に他に井戸はなかったが、この時から疫病の流行を予防するために各家で井戸を掘り、旧来の慣習を破ったという。
所有耕地は、反で数えて四反六畝(せ)十七歩(ぶ)である
平成十二(2000)年十二月吉日。久能是雄、奉納
《原文》
村社 天白神社
位置境内 柚木字本田二〇六番地二二八坪
明治八年二月十八日付ヲ以テ村社
由緒 棟札ノ寫
奉修覆天白翁宮五穀豊穣
天正十三年本社 次兵衛 造営
慶長十八年 寛永十九年 寛文十年
修復ス興惣兵衛次兵衛 小兵衛氏子
大古柚木村草深キ所ニテ長サ一寸八分ノ米三粒降リ来ルヨッテ其ノ地ニ一社ヲ祀リ天白ト名付ケテ其ノ田ヲ初穂田ト云フ 今尚存在シテ毎年其ノ田ノ米ヲ以テ神前ニ供フ 郷士外木又兵衛古書類ヲ携ヘ下総ノ國銚子辺ニ移転ス年代詳ナラス
但シ近年ニ至リテモ外木又兵衛ノ末孫毎年当村ニ来リ初穂田ノ所有人久保弥平宅ヘ立寄リ天白社ヲ祭ルヲ例トセリ本社前ニ三丈余ノ古井戸アリ初祭リ年村民地ヲ掘ルコト数十尺然ル処水湧出ス故ニ氏神ノ井戸ヲ嫌フト云フ 他村内ニ井戸ナカリシカ自今悪疫流行予防為各戸井戸ヲ掘リテ旧慣ヲ破レリト云フ
所有耕地反別 四反六畝十七歩ナリ
平成十二年十二月吉日 久能是雄 奉納



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