遠野物語(抜粋)

遠野物語(抜粋)


著:柳田国男


岩手県遠野地方に伝わる様々な話が集められています。不思議な話が多いです。
1910(明治43)年刊行。高級官僚でもあった柳田国男氏(1875-1962)が文筆家の佐々木喜善(鏡石)氏(1886-1933)から聞き取り、自費出版しました。日本民俗学の出発点とされています。


《目次》
本文(抜粋)
初版序文(全文)


本文

(各エピソードの掲載順はランダムです。《》内タイトルは筆者によるものです)


六三《迷い家「マヨヒガ」》

 小国の三浦某というのは、村一番の富豪です。今から二三代前の主人のとき、まだ家は貧しく、妻は多少ぼーっとしていた。この奥さんがある日、門の前を流れる小さな川にそってフキを採りに入りましたが、良いものが少ないので、しだいに谷の奥深く登りました。
 さてふと見ると、立派な黒い門の家がある。不審ではあるが門の中に入って見ると、大きな庭に紅白の花が一面に咲き、ニワトリが沢山遊んでいる。その庭を裏の方へまわると、牛小屋があって牛が沢山いて、馬舎があり馬が沢山いたが、いっこうに人はいない。ついに玄関から上がってみると、その次の間には朱と黒との膳椀を数多く取り出してある。奥の座敷には火鉢があり、鉄瓶の湯がたぎっているのを見た。それでもついに人影はないので、もしや山男の家ではないかと急におそろしくなり、駆け出して家に帰りました。
 この事を人に話しても本当だと思う人もなかったが、またある日わが家の川戸に出てものを洗っていると、川上から赤い椀が一つ流れてきた。あまりに美しいので拾い上げたけれど、これを食器に使ったらきたないと人に叱られんか、と思い、ケセネ櫃の中に置いて穀物を量る器としました。するとこの器で量り始めてから、いつまでたっても穀物が尽きない。家の者もこれを怪しんで女性に聞いた時、はじめて川から拾い上げた事を、話した。この家はここから幸福に向かい、ついに今の三浦家となった。
 遠野では山中の不思議な家を「マヨヒガ」迷い家、という。マヨヒガに行き当った者は、必ずその家の什器家畜を何であれ持ち出してくるべきものです。その人に授けるために、こんな家を見せるのですよ。女性が無欲で、なんのものも盗んでこなかったがために、このお椀がみずから流れて来たのだろう、といいます。



四《山の麗人》

 山口村の吉兵衛という家の主人、根子立という山に入り、笹を刈って束にして担いで立ち上がろうとする時、笹原の上を風が吹き渡るのに気が付いて見ると、奥の方にある林の中から若い女性が幼な子を背負って、笹原の上を歩いてこちらへ来るのだ。
 極めてあでやかな女性で、やはり長い黒髪を垂らしていた。子を結び付けている紐は藤の蔓で、着てる衣類は通常の縞物だけど、裾のあたりはぼろぼろに破れているのを色々の木の葉などを足してまとめてた。足は地に付くとも思えん。こともなげにこちらに近寄り、男のすぐ前を通ってどこにへか行き過ぎたよ。
 この人はその時の恐ろしさから患い始めて、長らく病んでいたが、さいきん亡くなった。



七一《魔女の結社》

 この話をした老女は熱心な念仏者ですが、世間の普通の念仏者とは様子が違い、どこか邪宗らしい信仰がある。
 信者に道を伝えることはあるけど、互いに厳重な秘密を守り、その作法については親にも子にも大小たりとも知らせない。また寺とも僧とも少しも関係はなくて、在家の者だけの集まりです。その人の数も多くない。
 ハネ石タエという婦人などは同じ仲間です。阿弥陀仏の斎日には、夜中に人が静まるのを待って会合し、隠れている部屋で祈祷する。魔法やまじないをよくするために、郷党に対して一種の権威がある。


九四《狐》

 この菊蔵、柏崎にある姉の家に用があって行き、振る舞われた残りの餅をふところに入れて愛宕山のふもとの林を過ぎると、象坪の藤七という、大酒飲みであり彼と仲良しの友に行き合った。
 そこは林の中だけど多少の芝原のある所です。藤七はニコニコとしてその芝原を指し「ここで相撲をとらんか」と言う。菊蔵はこれを受けて、二人は草原でしばらく遊んだが、この藤七がどうにも弱く、軽く自由に抱えては投げられるので、面白いままに三番まで取ってた。
 藤七が言うに、今日はとてもかなわん、さあ行くべしといって別れた。四五間も行ったあと気がついてみるとあの餅が見えない。相撲場に戻って探したけどない。初めて狐ならんかと思ったけど、外聞を恥じて人にも言わなかったが、四五日のあと酒屋で藤七に会いその話をすると、おれは相撲など取るものか、その日は浜へ行っていたからなと言って、いよいよ狐と相撲を取ったことが露見したよ。
 けれど菊蔵はなおも他の人々には包み隠していたけど、去年の正月の休みに人々が酒を飲み狐の話をしたとき、おれも実はとこの話を白状し、大いに笑われたよ。


九五《大岩》

 松崎の菊池某という今年四十三四の男は庭作りの名人で、山に入り草木を掘っては我が庭に移し植え、形の面白い岩などは重さもいとわず家に担ぎ帰るのを常とした。
 ある日少し気分が重いので家を出て山で遊んだが、今までついに見たことのない美しい大岩を見つけたぞ。普段の道楽だからこれを持ち帰ろうと思い、持ち上げようとしたが非常に重い。あたかも人の立ってる形をして高さもだいたい人くらいある。けれど欲しさのあまりこれを負い、我慢して十間くらい歩いたが、気の遠くなるくらい重いので不審に思い、道の傍らにこれを立て多少もたれかかるようにしてると、そのまま石とともにすっと空中に昇りゆく心地がした。
 雲より高くなってるように思ったがじつに明るく清い所で、あたりに色々な花が咲き、しかもどこからともなく大勢の人声が聞こえていた。けれど石はなおますます昇りゆき、ついには昇りきったのか、何事も分からないようになった。そのご時間がたって気付いたときは、やはり以前のように不思議の石にもたれたままでいた。この石を家の中に持ち込んではどんなことがあるのか予測できないと、恐ろしくなって逃げ帰った。
 この石は今も同じ所にある。おりおりはこれを見て、再び欲しくなることがあるということだ。


九七《臨死体験》

 飯豊の菊池松之丞という人が熱病に罹り、たびたび息を引き詰めたとき、自分は田地に出て菩提寺であるキセイ院に急いで行こうとする。足に少し力を入れていると、思いがけず空中に飛び上がり、だいたい人の頭くらいのところをしだいに前下りに行き、また少し力を入れるとはじめのように上がる。なんとも言えず心地良い。寺の門に近づくと人が群衆する。どうしてなんだと不審がりつつ門を入ると、紅の芥子の花が咲き満ち、見渡す限りも知れない。ますます心地良い。
 この花の間に亡くなった父が立っている。お前も来たのかと言う。これに何か返事をしながらさらに行くと、前に失った男の子がいて、トッチャお前も来たかと言う。お前はここにいたのかと言いながら近寄ろうとすると、今来てはいけないと言う。
 このとき門のあたりで騒がしく自分の名を呼ぶ者がいて、うるさいこと限りなかかったが、やむをえなかったので心も重くいやいやながら引き返したよと思うと正気付いた。親族の者が寄り集まり、水などを打ち注いで喚び生かしていたのだった。


八《神隠し、サムトの婆》

 夕暮に女性や子供で外に出ている者がよく神隠しに遭うことは余所の国々と同じだ。
 松崎村の寒戸というところの民家で、若い娘が梨の木の下に草履を脱いでおいたまま行方が知れずです。
 三十年あまり過ぎていて、ある日親戚知人の人々がその家に集まっていたところに、極めて老いさらばえてその女性が帰ってきたよ。どうやって帰ってきたかと聞くと、人々に会いたかったから帰ったとだ。さらばまた行こうといって、再び跡を残さず行き去ったよ。
 その日は風が激しく吹く日だった。だから遠野の人は、今でも風の騒がしい日には、今日はサムトの婆が帰ってきそうな日だよと言う。


七《山人の妻》

 上郷村の民家の娘、栗を拾いに山に入ったまま帰って来ない。家の者は死んだのだと思い、女性のしていた枕を形見として葬式を執り行い、さて二三年が過ぎたよ。
 それでその村の者が猟をして五葉山の腰のあたりに入ったら、大いなる岩に藪がかかって岩窟のようになった場所で、いきなりこの女性に会ったさ。互いに驚いて、なんでまたこんな山に居るのかよと聞くと、女性の言うに、山に入って恐ろしい人にさらわれ、こんなところに来ているのだ、逃げて帰ろうと思うが少しの隙もないとのことです。その人はどういう人かと聞くと、自分には並の人間に見えるが、ただ背がきわめて高く、眼の色少し凄いと思える。子供も何人か生んだけど、俺に似なけりゃ我が子ではないと言って食うのか殺すのか、皆どこかへと持ち去ってしまうのだという。ほんとに我々と同じ人間かと押し返して聞けば、衣類なども世の常だけど、ただ眼の色少しちがうよ、一市間(五日)に一度か二度、同じような人が四五人集まって来て、なにごとか話をして、やがてどこだかへ出てゆくのだ。食べ物など外から持ち来ているのをみると町にも出ることだろう、こう言ううちにも今にそこへ帰ってくるかもしれんと言うから、猟師も恐ろしくなって帰ったよ、というさ。
 二十年くらいも以前のことかと思うよ。


六《神隠し、長者の娘》

 遠野郷では豪農のことを今でも長者という。青笹村大字糠前の長者の娘、ふとモノに取り隠されて長年となったが、同じ村の◯◯という猟師、ある日山に入って一人の女に遭う。恐ろしくなってこれを撃とうとすると、◯おじではないか、撃つなと言う。驚いてよく見るとあの長者の愛嬢だよ。なんでまたこんなところにいるんだと聞くと、あるモノに取られて今はその妻となった。子も多く生んだけど、すべて夫が食い尽くして一人こんなことでいる。わたしはこの地で一生涯を送ることなのです。人にも言うな。あなたも危ないからすぐ帰れと言うままに、その住所をも聞き明かさずして逃げ帰ったという。



初版序文

 この話はすべて、遠野の人佐々木鏡石君から聞いた。昨明治42(1909)年の2月頃から始まり、夜分にその都度、訪ねてきた。この話をなさったのを筆記したのだ。鏡石君は話上手ではないのだが誠実な人だ。自分もまた、一字一句も加えず減らさず、感じていたままを書いた。
 思うに遠野郷にはこの類の物語がさらに数百件あるはずだ。我々はもっと多くを聞くことを切に望む。国内の山村であって遠野よりさらに深く入ったところには、また無数の山神や山人の伝説があるはず。できるなら、これを語って平地人を戦慄させよう。この本のようなものは反乱の発端でしかない。
 昨年8月の末、自分は遠野郷で遊んだ。花巻から40キロ余りの途中には町場が三ヶ所ある。その他はただ青い山と原野である。人の煙が希少であることは、北海道石狩の平野よりもきわだっている。あるいは新道であるということで、住もうとして来てそれができた人が少ないのか。遠野の城下はすなわち煙花の町だ。馬を駅亭の主人に借りて一人で郊外の村々を巡っていた。その馬は黒い海藻によって作った厚房を前にかけていた。蚊が多いからだった。猿ヶ石の渓谷は土が肥えてよく開けている。道端に石の塔が多いのは諸国にその類を知らない。
 高所から展望すると早稲はまさに熟し、晩稲は花盛りで、水はことごとく落ちて川にある。稲の色合いは種類によってさまざまだ。三つ四つ五つの田が続けて稲の色が同じなのは、つまり一つの家に属する田であって、いわゆる「名所」が同じである。小字からさらに小さい区域の地名は、持ち主でなければそれを知らない。古い売買譲渡の証明書にはいつも見られることである。
 附馬牛の谷へ越えると早池峰の山は淡く霞み、山の形は菅笠のようで、またカタカナのヘの字に似てる。この谷は稲が熟することさらに遅く、視界は一色に青い。細い田中の道をゆくと、名を知らない鳥がいて、雛を連れて横ぎった。雛の色は黒に白い羽根が混じっていた。始めは小さな鶏かと思ったが、溝の草に隠れて見えないから、それで野鳥であることを知った。
 天神の山には祭りがあり獅子踊りがある。ここにだけは軽く塵が立ち、紅いものが少しはひらめいて、一まとまりの緑に映えている。獅子踊りというのは鹿の舞いだ。鹿の角をつけた面をかぶり、子供が五六人剣を抜いて、これとともに舞うのだ。笛の調子は高く歌は低いので、そばにいても聞きにくい。日は傾ふほられいて風が吹き、酔って人を呼ぶ者の声も淋しく、女性は笑い子供は走るけど、でも旅愁をどうにもできなかった。
 盂蘭盆に新しい仏のある家は、紅白の旗を高く掲げて魂を招く風習がある。峠の馬上で東西を指点すると、この旗が十数か所ある。村人の永住の地を去ろうとする者と、かりそめに入り込んでいる旅人と、またあの悠々とある霊山とを、黄昏は徐ろに来ていて包容し尽くしていた。
 遠野郷には八か所の観音堂がある。一本の木で作ったものだ。この日は御礼参りの信徒が多く、岡の上に灯火が見え伏鉦の音が聞こえていた。道違えの草むらの中には雨風祭りの藁人形がある。あたかもくびれている人のように仰臥していた。
 以上は、自分が遠野郷で得た印象である。

 思うにこの類の書物は現代の流行ではない。いくら印刷が簡単だからといって、こんな本を出版して、自分の偏狭な趣味によって他人に強制しようとするのは、無作法な行為だよと言う人があろう。けれどあえて答える。こんな話を聞きこんな所を見てきた後に、これを人に語りたがらない者が果たしてあるか。そのように寡黙でありかつ慎み深い人は、少なくとも自分の友人の中にありはしない。
 言うなら、我が九百年の先輩『今昔物語』などはその当時にあってすでに今は昔の話だったのに対して、これはこの目の前の出来事なのだ。たとえ敬虔の意と誠実の態度においてはあえてそれを超えられたとは言えないけれど、人の耳を経ること多くなく、人の口と筆を使っていたこと非常にわずかだった点においては、あの淡白無邪気な大納言殿かえって来たり聴くに値した。近代の御伽百物語の徒にいたってはその志がすでに陋かつ妄誕ではないことを決して誓えない。ひそかにもってこれと隣を比するのを恥とする。
 要するにこの書は現在の事実なのだ。単にこれだけをもってしても、立派な存在理由があると信じる。鏡石氏は年齢わずかに二十四五、自分もそれに十才長じているだけだ。
 今の事業多い時代に生まれたのに、問題の大きい小さいをわきまえず、その能力を使うところを間違えているという人がいたらどうか。明神の山のミミズクのように、あまりにもその耳を尖らしあまりにもその眼を丸くしすぎていると責める人があればどうか。いやどうにもならない。この責任だけは自分が負わねばならぬのだ。

おきなさび 飛ばず鳴かざるおちかたの 森のふくろう笑うらんかも


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